第3章(3)
「どうかしたのですか」
声をかけると、花散里はやっと顔を上げた。表情もいつもとは違い、疲れた感じだ。
「あなたを見ていると、毎日が新鮮そうで、羨ましい」
花散里は深い溜め息をついた。
「もし生まれ変わるとしたら、あなたの時代に行ってみたいわ。今の私は殿に面倒をみてもらっているだけ。貴族の女なら当たり前だし、恵まれた生活をしているとは思うけど、疑問を感じることがあるのよ。殿が嫌いではないのよ。でも私には他にもっとできることがあるんじゃないか、って考えてしまうの。外の世界で働いてみたいわ。意見も一杯言って、やりたいことをしてみたい。いろんな仕事を経験できるなんて素敵なことだわ」
確かに花散里なら有能な働き手になるだろう。この時代のスキルも高いが、人の育て方もうまいのは、夕霧を見ていてもわかる。現代でもすんなりと馴染みそうだ。
現代について喋ってはいけないという安藤さんの注意は覚えていたが、私は平成の時代について話した。
「私の時代でも、女性の社会進出は他の国に比べたら、随分遅れているんです。賃金格差だけでなく、男女差別は多いし、妊娠したら正社員でも辞めさせられるケースも多いんですから。私の知り合いに、出産して職場復帰したら、嫌がらせで遅いシフトの仕事に回されて、辞めなければならなくなった人が実際にいましたから」
「千年後でもそんなに変わっていないの?」
花散里は肩を落して、東の対へ帰っていった。
私自身も残りの宿題を片づける気分ではなかった。平成の私の現実を、久しぶりに思い出して考え込んでしまった。
私はここで、いくら琴がうまくなろうが、読み書きができようが、現代に帰れば何の役にも立たない。本物が見つかれば用なしだ。平成と平安時代とでは全く違うタイプの格差社会だから、一概には比較できない。でも源氏の君が、勝ち組であることは間違いない。それに引き換え、私はここでも派遣の身。源氏の君の気が変わって、途中で私がお払い箱になる可能性だってないとは言えない。
派遣社員は、デパートの受付嬢、テレビ局のAD、工場での製造作業者など、あらゆる職種にわたっている。
だが三年以上同じ職場にいても、給料は上がらないし、交通費は原則支給されず、ボーナスはもちろんなし。正社員と全く同じ仕事を任されて、立派にやっていたところで、正社員に登用されることもほとんどないから、モチベーションは下がる一方だ。派遣社員から正社員になったら、ボーナスが出るかわりに時給を下げられ、却って一ヵ月の給与が下がってしまい、生活に困り、辞めざるをえなくなったという話も聞く。
いろんな職場で働いていると、様々な人を見る。企業の新しい部門の立ち上げに派遣社員が採用され、社員を指導した人。たくさんの資格を持った派遣社員。正社員で尊敬できる人もたまにはいるが、驚くほど仕事が出来ない人もいる。
ほとんどの場合、正社員は不正や大きなミスをしたって、何ヵ月かの減給か、訓告で終わる。実際に正社員と派遣社員が全く同じミスをした場合、正社員はお咎めがないのに、派遣社員は延々と説教される。
現在は、非正社員が働く人の三人に一人という割合だ。それなのに、厳然と派遣社員は区別されている。
派遣社員を使っていながら、派遣先責任者である上司が労働者派遣法の中身を知らない。企業側がコストを問題にするのなら、正社員は無しにして、全員派遣社員にしたらどうなのだろう。結婚しない男女が増えているのも、非正社員が増えていることも一因だろう。目的があって自分で選択しているなら、それは問題ない。でも私が派遣先会社で出会った友達のほとんどは、正社員を望みながら採用してもらえない人達だった。
こっちの世界に来て、半年になる。派遣社員への風当たりはもっと厳しくなっているだろうか。現代はどうなっているのだろう、と焦りを感じる。
でも戻っても、今までみたいに流されて生きていたら、ここでの暮らしと一緒ではないか。現代に帰って、私は何をしたい?
大事なのは今後の自分だ。本当にやりたいこと、って今まで自分にはあっただろうか……。
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