第3章(2)
ある日の夜遅く、花散里からの宿題の和歌の暗記をしている時だった。
どこからか艶かしい香りがすると思ったら、源氏の君が突然現れた。
「じゃーん! 今日は先触れしなかったら、いきなりで驚いた? それより、美しい月夜ですよ。本なんて置いて、外を見て御覧なさい」
私はしぶしぶ本を置いた。この仕事は業務時間がないので、「時間外ですので」と断れないのが辛いところだ。
源氏の君は燭台の明かりを小さくし、蔀(しとみ)を上げた。
月の光が冴え冴えとさし込んでくる。私も少し端に座り、月を眺めた。十三夜くらいだろうか。薄雲もかかっていない、美しい月だった。
「君の母上の夕顔とも、こんな風に月を見たことがあった……。初めて君に会った時は、あまり似ているとは思わなかったけど、近頃は夕顔そのままに思えてきて……」
源氏の君はにじり寄ってきて、真顔で私の手を握った。
「私は母ではありませんから、困ります」
私は玉鬘らしく、怯えているように振舞った。
「冷たいなー。どうしてそんなに嫌がるんですか。親としての愛情にもう一つの愛情が加わるだけなのに」
源氏の君はくにゃっとしなだれかかってきた。
女房たちは寝てしまっているのか、気配もしない。
源氏の君は、私の髪を優しく撫でたが、かもじだとばれたら困る。私は身を硬くした。
「その着物、私が贈ったものだね、よく似合うよ」
素早く肩を抱かれて、囁かれた。私はその時たまたま、贈られた山吹襲の着物を着ていた。
①あくまで玉鬘らしく、抵抗しない
②悲鳴を上げて逃げる
③張り倒す
①から③のうち、どう対処するか迷っていると、お尻がぞわっとした。何枚も衣を重ねている上からだったが、源氏の君が私のお尻を触ったのだ。私はびっくりした。ブッシュ大統領に肩をもまれて、椅子から飛びあがったメルケル首相くらい驚いた。
「痛いっ!」
源氏の君は、悲鳴を上げて手を引いた。弾みで私は突き放されて、どたっと転んだ。
「何で抓るんですか! 痕が残ったらどうするんです」
源氏の君は涙目になって、手の甲をさすっている。
「仲良くしていたのに、これぐらいのことをなぜ嫌がるの。これ以上のことはしないから」
当たり前だ。派遣元の平安堂が責任を取ってくれるとは思えない。派遣会社なんて、派遣先の会社の顔色ばかり窺って、派遣社員のことなんか何にも考えていないんだから。
物語の中では、結局源氏の君は玉鬘にこれ以上のことはしないが、本当に思いとどまるかどうか……。セクハラ講習でもやってやりたい。
睨みつけていると、源氏の君は「ああ、痛い」と呟きながら、そそくさと部屋を出て行った。
私は緊張の糸が切れて、どっと疲れた。
次の日は、和琴の練習の日だった。暗記の宿題は、源氏の君のせいでできなかったので、また花散里に怒られるかと、びくびくしていた。
和琴は滑らかには弾けないが、変な音をたてることもなくなった。
いつもならすぐに稽古を始める花散里だが、宿題の件にも触れず、黙り込んでいる。
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