第2章(4)
「あの……、未来から来ているのなら、あなたは今後私たちがどうなるか、知っているんですよね」
「詳しくは知らないわ。大体なら……」
私は用心深く答えた。
「私の供になる条件に、一つだけ教えて下さい。雲居雁(くもいのかり)とのことなんですが、僕は彼女と結婚できるのでしょうか」
『雲居雁』は、夕霧のいとこで、幼馴染の恋人だ。でも今は、彼女の父親の内大臣に仲を裂かれている。近頃源氏の君と内大臣の仲が悪いのは、政治的なライバルという他に、このことも原因だ。
私はちょっと考えた。物語の進行には、特に妨げにならないだろう。
「できるわよ」
私が答えると、夕霧はパッと顔を輝かせた。
「本当ですか」
「本当よ。ただし時間はかかるわよ。内大臣は頑固だから、気長に待つことね」
「ありがとう」
夕霧はさっきまでの不機嫌はどこへやら、嬉しそうに笑った。
それから一ヵ月後。
私は、夕霧の腹心の部下の右馬の助と共に、内大臣家へ向かっていた。表向きは、夕霧の恋文を雲居雁に渡すためだが、本当の目的は玉鬘を探すことにある。
私は一週間に一回、右馬の助か夕霧と共に、都を歩き回っている。毎日は夕霧に許されなかった。この時代は警察があまり整備されていないので、行方不明者の情報は市に出入りする商人の方が詳しい。外出する時は必ず市に寄り、目新しい情報がないか聞いてまわった。
私は、源氏物語で、玉鬘の一行が京の岩清水八幡宮に立ち寄ったことを覚えていた。それは確認できたのだが、それから先の足取りが全くわからない。大和の初瀬寺を調べている家人からも連絡はない。おおっぴらに探せないので、それほど人数を割けないのだ。だが近くまで来ていることは確かなようだ。
でも私は、玉鬘探しを結構楽しんでいた。あちこちの邸に出入りしたり、夕霧の方違え(かたたがえ・出かける方角がよくない場合、前夜に別の方角へ行って泊まり、方角を変えてから出発すること)について行ったりできるからだ。女房たちは他家の噂に恐ろしく詳しかったが、玉鬘にまつわる情報はなかった。
夕霧は心配していたが、誰も私が女だと感付いていない。髪は少し長くなったものの、髻も簡単に結えたし、自分で言うのもなんだが、男の装束がばっちり似合っている。
市に入ると、顔見知りになった商人が黙って首を横に振った。情報はない、ということだ。他も当たってみたが、また無駄足だった。
市場は今日も賑やかで、大勢の人が買い物をしている。錦など贅沢なものを買い求める貴族達がいるかと思うと、ぼろを着た物乞いがいる。格差社会だなと思うのはこんな時だ。この間も、私たちが通りを歩いている時、美しい檳榔毛車(びろうげのくるま)が追い越していったと思ったら、すごいスピードで引き返してきた。行く先に行き倒れの死体があったのだ。
今日はそういう出来事もなく、うららかな日だった。歩いていると、やたらと欠伸が出てしまう。
「相当しごかれているみたいですね、花散里さまに」
右馬の助はにやにやして言った。
「毎日睡眠時間三、四時間だもの」
どこが、セレブなスローライフだ、とまたしても、平安堂の安藤さんを罵倒したくなるような日常だった。姫君なんて、のんびり絵巻物を見たり、貝合わせをしたりしていればいいと思っていたのだが、私を待ちうけていたのは、和歌の暗記だ。
「花散れる水のまにまにとめくれば。はい、下の句!」
「山には……、えーっと」
「だめじゃないの、これくらい暗記しなきゃ!」
花散里は、扇でピシリと私の手の甲を打つ。体罰反対! 毎日がテスト前みたいだ。
古今集は全二十巻、千百十一首もあるのだ。すぐ覚えろと言われても、普通の貴族の姫君でも何年もかかる。しかし、花散里のスパルタ教育のおかげで、少しずつ古今集も暗記しつつあるし、美しい手跡とはいかなくても、なんとか仮名文字が書けるようになった。和琴も教えてもらっている。源氏物語では、内大臣は和琴の名手という設定なので、娘の玉鬘もそこそこ弾けなければ格好がつかないのだ。他にも、貴族の姫君としての心得、作法、立ち居振舞いなども習っている。
裁縫はやはり全くだめで、花散里もあきれていた。中学生の時家庭科で居残りをさせられた苦い思い出がよみがえってしまう。
染色は気に入った。手順は面倒だけれど、布が染め上がるまで、どんな風に仕上がるだろう、とわくわくする。
染料は、自然の草花や木の皮、実から取る。紫は、紫草の根から取る。紅花からは紅。緑色を作るには、藍と梔子(くちなし)や刈安などの黄色を染め重ねればいい、と花散里から教わった。
材料を細かく切り、水の中でぐつぐつと煮て、吹き零れないように火加減を見ながら、杓子で掻き回す。もっとも花散里は指示するだけだが、材料の量やタイミングは彼女の頭の中に全部入っているようだ。面白そうなので、私は少しだけ手伝わせてもらったが、色を煮出すのは熱いし、水は重いし、着物で作業するのは大変だったが、染色への興味はますます湧いた。
でも身に着けても、この時代のスキルは、他で通用しないからな~。また平安堂から派遣に出るならともかく……。
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